2013年度の実業団レースを終えてのまとめを書こう・・・
一般主婦が実業団に登録をして1シーズンのレースを走り終えたまとめを、
『書かなくちゃ』っと思いながら、
遅ればせながらデビューしたfacebookとやらを活用しだすと、
あれま、ブログのパスワードとかまた忘れてしまっていた・・・。
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実業団のレースの最終戦が台風で中止になった。
最終戦となるはずだった輪島ロードレースでは、
自分はずっとずっと苦手だと思い込んでいた『上り』が、
本当はどれだけ上れるのか?っと今の力を試すためにも走りたかったな。
登録するときに、自転車の先生に言われたことがあります・・・
『登録して一年目は、全戦DNFになると思うが最後までめげずに頑張れ』
そう言われて、
『どんなに辛くても、どんなに失敗しても、最後まで諦めない』っと約束しました。
実業団に登録したと言ったら驚く人もいましたが、
無理だから止めておけ。っと止める人もいなかったので、
少々勇気を出して登録しました。
っがそれからの自転車の先生との練習は、それまでの練習よりもうんと強度が上がり、
練習後は毎回抜け殻の様でした・・・
ガッツリメイクをして行っても、練習途中で10歳老け、20歳老け、
練習が終わる頃には、『ヤバイで(笑)』っとよく笑われました・・・
そして、一年目は失敗する事よりも経験値を上げることの方が重要だと思っていたので、
日程的に出れるレースは、ロードレースだろうがクリテリウムだろうが、
苦手なヒルクライムにも、遠方だろうが兎に角選ばずにエントリーしました。
まず、初戦の幕張クリテが予想外にも完走できて、
初めての実業団レースで初めてのポイントをもらう。
ラスト2周で先頭集団から千切れてしまい、
千切れた3人でローテーションをして最後はパンクしたタイヤでスプリントで勝った。
本当に苦しくて苦しくて、いっぱいいっぱいだった。
『これが、実業団レースか・・・』っとただただ思った・・・。
ゴール後に自転車の先生が、
『よーやった・・・』っと迎えに来てくれたのが本当に嬉しかった。
『ほんとに完走できたの?、本当に完走したの?』っと、
泣きながら何度も聞いたのを覚えている。
二戦目の舞洲クリテリウムは、
積極的に先頭も引き、先頭交代のローテーションにも加わる。
市民レースではなかなか体験できなかったことを経験する。
っが、銀メダリストであるパナソニックレディースの坂口選手のアタックに、
単独でついていこうとして心肺終わる・・・。
伊吹山ヒルクライムは、
『頑張っても最下位だから完走するだけで良い』と何度も念を押されたのに、
指示を無視して、ヒルクライムの女王である金子選手のスピードを知りたくて着いていき、
過呼吸を起こして救護車に回収される・・・。
白浜TTは、強風向い風で思うように速度をのせられず。
翌日のクリテリウムでは、スタート直後のペースアップに心肺がついていかず千切れた。
得意な平地だからと思っていたのに、自分の力の無さに早くも、
『私には無理だもん・・・』っと悪態ついた・・・。
比叡山ヒルクライムでは、伊吹山での反省をふまえ、
本当にマイペースで上るが心肺が辛くて辛くて堪らない。
最後まで諦めないで上るだけで精一杯だった・・・。
3DAY'Sの熊野大会は、チームから一人の参戦となる。
体力的にも精神的にも相当頑張らないといけないと覚悟して挑む。
初日のコースは最後にガツンと上るが、
それ以外は一般道路で緩やかに上る所が数箇所あり好きな感じのコースだったが、
女子がスタートして、直後にスタートした一般男子クラスと混走になり、
いつもより集団は大きく、トンネル内でパンクして止まっている方や、
それに突っ込んで落車する方もいて集中して走った。
脚もよく回り良い感じで走れていたのに、折り返し手前の最後の上りで千切れる。
二日目のコースは、3つ目の上り返しで心肺がいっぱいで千切れてしまう・・・。
援護車の拡声器から大音量で流れる、
『こちらが最後尾です。ご声援ありがとうございます』
っというアナウンスをずっと聞きながら走り悔しかったが、
沿道で温かい声援を送ってくださるのみなさんに何度も何度も励まされ、
最後に苦手なヒルクライムがあったが完走する。
最下位を走っていると、回収車に『もう乗るか?』っという甘い囁きに誘われるが、
首をブンブン横に振って何度も拒否。
『脚切りはしない』っというルールだったので最後まで意地だけで走った。
っがゴールと共に過呼吸を起こして助けていただいた・・・。
この頃からだろうか?・・・
脚は残っているのに心肺が追いつかず、
どんなに練習してもどんなに頑張ってもどうして走れないんだろうか?
っと密かに感じていた不安。
湯船に潜り息を止める練習や、上りでの呼吸法を特訓するが上手くいかず、
泳げないけど水泳か、長距離は苦手だけどジョギングを取り入れようと思っていました。
『根性が足りない』っという人がいれば、『これ以上の根性はどこに売ってますか?』
っと心の奥底でグーパンチしていた(笑)
富士山ヒルクライムのアザミコースは、試走をしに行き22%の勾配にビビル。
エントリーをしてしまったけど、本気でDNSしようかと悩むくらいビビル。
坂の特訓をしても全然足らず、色々調べて24Tのチェーンリングをつけてもらい出場。
私と同じように、24Tくらいの小さなチェーンリングで入賞していた方がいた。
大雨の中、秘策のお陰でなんとかかんとか脚つき無しで完走するが、
一般女子にも負けてしまうほど遅かった・・・。
同行してくださったチームルパンの方々に、
『大丈夫だよ。絶対に完走できるから』っと励まして頂いたことや、
あまりに遅くてなかなかゴール地点に現れなかった私を、
雨が降り寒い中、ゴール地点で待っててくださり、
ヨレヨレの私に駆け寄って大声援を送ってくださったことを思い出すと、
今でも涙がポロポロこぼれる・・・
完走は絶対に無理だと言われた、西日本ロードレース広島は、
女子でも下りが速い人がいて色々学ぶ。
ヘロヘロになりながら何とか完走させてもらうが、
自分の中では最下位の女王というレッテルを張っておいた(苦笑)
いつもいつも『頑張って』『頑張ってるね』っと応援してくださる温かい声援に、
ずっとずっと、いつもいつも、何度も何度も助けられていました・・・。
みやだロードレースでは、スタート1分前に再車検というハプニング。
こんな時こそ、焦らず力を発揮しようと思うが、
慌ててスタート地点に並んだ時点で心拍が160bpm。
一周目の上りで即効千切れたw・・・
しばらく必死で走ったが、赤旗出されて終了~。
応援してくれた方々と、スタッフ、コースに感謝してレースを離脱した。
暑い夏の練習中に、上りで頑張った後の下りでフラフラになり倒れてしまう。
レースで走りきる自信をすっかり無くしてしまったことを言えないまま、
毎年楽しみにしていた、シマノ鈴鹿も今年は何の目標も持てずに走った。
途中で諦めずに最後まで走るだけで必死だった・・・。
その頃、生理が止まらなかったり、毎日何度も起こる立ち眩み、
シャンプーしたっけ?とか、買い物する物を忘れたりという記憶力の低下。
そして、製氷機の氷を毎日100個とか200個くらい異常に食べていて、
それは暑いからだと思っていたら、氷食症ではないか?と言われ病院で色々検査すると、
赤血球の減少と鉄分欠乏症で、自転車レースにドクターストップが出た。
『レバーと、ホウレン草を食べたら治りますか?』っと尋ねたら、
『そんなレベルではありませんね』っとあっさり自転車レースはドクターストップw
医師に、『しんどかったでしょう~』っと言われると我慢していた気持ちが緩んだのか、
診察室でワンワン泣いてしまったら、
看護士に、『重い病気で今日、明日どうにかなるんじゃないから』と宥められ、
『ご家族が心配されるから泣き止んでから帰りなさい』っとハンカチを貸してくださった。
っが、家族には重い病気だと勘違いさせてしまう・・・。
自転車の先生に、練習中も一緒に食事をする時も、
『食べろ、食べろ、もっと食べろ』っといつも言われるのに、
嫌いな肉は食べないし、とにかく量を全然食べれなかったので、
自分の体を労わってやれていなかったと反省しました・・・。
自転車の先生と、『どんなに辛くても最後まで諦めない』っと約束した以上、
今シーズンのレースを最後まで走りたかったので、
その日から、投薬しながら大嫌いな肉を食べ、鉄分の多い食品を積極的に食べ続けた。
私の目標は実業団レースのスタート地点に立つことではない。
『最下位脱出からの入賞と、いつかは実業団で表彰台に上がる』
という夢は諦めてませんよ!っと自転車の先生に言ったら、
その日からの練習が更に厳しくなったのは気のせいでしょうか?(笑)
食事の改善で体調も良くなり、氷をカリカリ食べる行為も治まる。
医師からドクターストップが解除され、
TTチャンピオンシップは、泣き脅しをした覚えは無いが、
急遽準備してもらったTTマシンで思い切り走る。楽しかったが悔しかった。
風を読みすぎてというか、考えすぎて出し切れずに終わった。
ずいぶん体調も善くなり、
何の迷いもなく、厳しくなった練習にも集中して取り組み、
過呼吸を起こすこともなくなった。
無酸素域での我慢や根性は相当鍛えられたので、
苦手だった上りがグイグイ上れて、
夏にどれだけ練習してもタイムが伸びなかった清滝TTが、
いきなり1分くらい縮まり、踏み回す力が出せるようになってきて、
自分が物凄く強くなったのではないか?っと思えた。
苦手だった上りや、強度のある練習で追い込むのが楽しくて仕方ない・・・
脹脛の筋肉や、膝の上の筋肉が更に立派になった(笑)
体調が善くなってからのレースを楽しみにしていた。
ら、舞洲クリテリウムは悪天候の為、現地でレースが中止になる。
次戦の、いわきクリテリウムでやっと自分の力を試せた気がする・・・。
調子が良かったので、『スタートで逃げてみたい』と言うと、
『失敗しても良いからやってみ』と言うので本当にやってみた(笑)
ははは・・・逃げれなかったけど、積極的に走って気持ち良かった。
でもその後、今までなら直ぐに千切れてしまうのに、
昨年のポイントランキング3、4位の選手と3人でローテーションを回し、
ずっと千切れないで走る。苦手な上りは前で上り、平地で休み、下りで攻める。
レース中も考えながら走れる余裕が初めてあった。
残り2周になったとき、3位の選手を逃がすものか!!!
っと目の前にいた3位の選手に乗ろうと上りでダッシュすると、
上り切った所のゴールラインで赤旗を振られる???
周回遅れにはなっていないのに、すぐ後ろに先頭が来るというので赤旗。
目の前にいた3位の選手だけ通過して行った・・・。判断が遅かった。
一年間レースに参戦してきたけど、まともに走れたのは今回が初めてだったので、
レースはこういうものだということを知った。
悔しかったけど、ここへ来てやっと、
先生から教わった沢山のことが詰まった引き出しを開けることができるようになった。
っと思えて嬉しかったし今後に期待が持てた。
一緒にローテーションしていた選手に、
『速くなりましたね~脹脛の筋肉が凄いけど、どんな練習をしたんですか?』
っと声を掛けて頂いたことは大きな自信となった。
この日のレース直後の、先生からの電話は長電話だった。
トンネルで何度も断線する電話に先生はイライラしていた(笑)
この調子で走れば、女子の先頭集団?
若しくは第二集団でゴールできるかもしれない???
っと挑んだ美浜ロードレースでは、
前日の試走でもとても調子が良く、上りでも心肺がヒーヒー言わないし、
大好きな長い下りが楽しくて楽しくて・・・。
レース当日は、チーム員のレースを観戦していて自分のアップ時間の段取りを誤り、
な、な、なんとアップ無しでスタート地点に並ぶw・・・
スタートして一周目はきつかったが、
2周目からは上りで掛かるペースアップにも対応できた。
上りだろうが、下りだろうが、向風だろうが、自分の気持ちは前へ前へだった。
今まで、集団で走れることがなかったので、
元気な自分が嬉しくて、楽しくて、怖がらずに自分のペースで走った・・・。
3周目に、『向い風は集団に潜り込んで』という言葉を思い出し、
集団内で脚を休める・・・自転車のレースはこうやって走るのか?っと、
今更ですが、一般の女子だけのレースではなかなか経験できないところです。
何度かレースを走ると、
危険な場所や、危険なポジションを避けることも、
経験値のうちの1つだと思っていましたが、
上りで、自分の目の前で落車が起こりました。
上りでの落車は予想外でした。それに対応する判断も遅れ、
そこで戦う気持ちが切れてしまいました・・・。
どんな時も最後まで諦めたことがなかったのに、
この時は、自分の中で戦う気持ちがプツリと切れました。
美浜ロードレースでも、
他のチームの方の激励や、応援に来てくれたかたの温かい声援が力になりました。
いつもは、『桃さん、桃ちゃん、お春さん、春ちゃん』っと声をかけて頂きますが、
この日は上りで、『モジュ子、がんばれ~~~』という大声援が聞こえました。
MOJYUMAじゃなくて、MOJYUKOですよモジュ子(笑)
必死で走っていますが、神経は研ぎ澄まされているので、
温かい声援や、たまには野次などもちゃんと聞こえています。
私を応援してくださった皆さん、
練習会にご一緒させていただいたり、
レースに同行してくだり、面倒をみてくださったチームの方々や、
ピラティスで身体の調子をみてくださるチームルパンの監督さん、
いつも祈るように応援してくださる、同じ近畿圏内の黄色いジャージの皆さんや、
赤いジャージのチームの皆さん、
本当に本当にありがとうございました・・・
一緒に練習してくれたチーム員、一緒に走ってくれた皆さん、
いつも何の不安を感じることなく自転車をメンテナンスしてくれるメカニックさん、
身体のことや、たくさん練習できるように気遣ってくれる理解ある夫に、
そして、一年間見放さずに厳しく指導してくれた自転車の先生、
みなさんに心より感謝しています。
今後は、自転車の先生に言われた『良い練習、良い食事、良い睡眠』を心がけ、
来シーズンも、辛いことも、楽しい事も、嬉しいことも、
一緒に感動を分かち合える方々と共に成長していきたいと思います。
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